2019年2月15日 9回目のこんにちは




午前10時前、私は成田空港に着き、その足で拘置所へ向かった。

東京の寒波は今日までだそうだ。小菅駅に着いた途端、静かに雪が降り出していた。

拘置所に着いたのは12時半頃。午後の受付と同時に、面会申込申請を済ませた。

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一番面会室

土屋さんは、グレーのスウェットパンツにネイビーのボアブルゾン姿で入室してきた。

「寒そうですね」

と私が声をかけると、土屋さんは、室内だからそこまで寒さがわからないということを言った。

運動はしないのか尋ねたら、体調を崩していたようだ。つい1週間ほど前に、喉の痛みと、咳が止まらない症状が続いたそうで、我慢ができず診てもらったら、喉頭炎?扁桃炎?どちらか忘れたが、診断されたとのことだった。今は薬を飲んでだいぶ落ち着いたと話してくれた。

医師が来てくれて診てくれたと言っていた。出張医療機関なるものがあるのだろう。

体調が悪かった期間、独房で休んでいたため、雪も見ていないそうだ。外は今静かに雪が降っていることを伝えた。反応は薄いままだった。

協力できなくて・・・

「弁護士の先生の件、協力できなくてすみませんでした」

土屋さんはそう言って、頭を下げた。

私からはこれまで協力してくれたことへのお礼を告げ、取材するにあたって少し様子を見た方が良いのだろうかと訊いた。

上告審(最高裁)の代理人弁護士へ何度かアプローチをしているが、一切レスポンスがないことは過去のブログで既に述べた。土屋さんの事件を辿るにあたって、取材対象となる人は少ない。だからこそ、たとえまだ2度しか面会に来ていない上告審の代理人が彼のことを全く知らずとも、関わりのある者として話を聞かずに見過ごす事は避けたい。ただの私のエゴイズムかもしれないけれど、彼の生死の行方を握る残された1人なのだ。

加えて、私は土屋さんの事件記録、特に控訴審判決を閲覧したいという思いがあった。東京に来る前に、高裁と最高裁の刑事部の記録係へ問い合わせをし、その旨を伝えていたのだが、何人もの人に電話を取り次がれた挙句、

「判決が出てないので、記録は弁護士しか見られません」

と言われていたのだ。

ネットの判例を調べても出てこなかった。だから上告審の代理人に頼りたかった。けれどもレスポンスが無かった。そんなサイクルを辿っていた。ついに土屋さんまで私にまったをかけた。このサイクルの意味することは何だろうか。

土屋さんは前回の手紙で、私に取材のまったをかけている。面会したこの日も、その気持ちは変わらないようだった。

「向こう(上告審代理人)が消極的なので、私もどう動いたら良いかわからない。一度立ち止まって様子を見た方が良いかもしれない」

ということを、私は土屋さんに話した。

その話が今回の面会の本題となった。いつも15分という時は、あっという間だ。

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面会の後で

私は面会を終えた翌日、上告審(最高裁)代理人の勤める法律事務所へ向かった。

もしかしたら私が書いた手紙も、送ったメールも、何かの行き違いで届いていないのかもしれない。であれば、直接郵便ポストへ投函する方が確実だと考えたからだ。

東京メトロ丸の内線・赤坂見附駅で降りた。夜は飲屋街で賑やかになるこの駅周辺だが、土曜の昼となると人気がなく、車もほとんど通らない。

5分ほど歩いた。すると繁華街の真ん中に、上告審代理人が勤める法律事務所が入っているビルを見つけた。中に入ろうとするも、自動扉は当然きっちり締められている。残念なのは、自動扉の先にオフィスの郵便ボックスがあることだ。せっかく書いた葉書も無駄になった。

その瞬間、いたたまれない思いになった。誰かが私の行く道を阻もうとするかのようだ。

私は唖然としたまま、しばらくその場から離れられず、どうしたものかと考え込んでいた。

数分して携帯を取り出し、事務所の電話番号を調べた。電話は24時間対応ということを以前ホームページで見て知っていたのだ。迷惑を承知の上で、閉じられた自動扉の目の前で、電話をかけた。

数コールの後、上告審代理人が出た。この電話で私は衝撃を受けることになる。

「土屋和也・・・誰でしたっけ」

電話の声からして、かなり年を召した印象だった。土屋さんが度々「高齢なので」と口にしていたのも理解できた。

電話口の声の背景から、テレビの雑音が聞こえてくる。恐らく、事務所の電話が自宅か携帯電話に転送されているのだろう。私は思い切って聞いた。ここからは私が衝撃のあまり忘れることができない会話の内容を下記に書くことにする。

「先生が土屋さんにお付きの事件のことで、聞きたいことがありご連絡致しました。」

かなりゆっくりしたテンポで、弁護士は

「はぁ、なんの事件のことでしょうか」と言った。

「えっ」。

つい言葉が漏れた。少し間を置いて、私は答えた。

私「住居侵入、強盗殺人、窃盗事件です。」

弁「殺人・・・?ということはもう終わってる事件でしょうか」

私「いえ、高裁判決がでて、その後上告しています。その上告審の代理人を先生がお務めになってると思いますが」

電話の向こうで、弁護人は何かを思い出そうとしているようだった。会話は続く。そして信じられない一言が、弁護人の口から放たれた。

弁「土屋・・・土屋・・・誰でしたっけ。」

私は言葉を失った。その場に凍りつくかのように、一瞬、身動きを取ることができなかった。

弁「事件番号、判りますか?」

弁護人が続けて聞いてくるも、あまりの衝撃に返す言葉が見当たらない。数秒の沈黙を経て、

私「これまでお手紙やメールをお送りしていたのですが、届いてませんでしたか?」

と聞くと

弁「はぁ、いつ頃でしょう」

と言ってきた。恐らく、目を通していないのだろう。私は呆れて

私「事件番号を書いて、再度、お手紙を送りますので必ずみてください。」

と言った。

弁「そうしてくださると、助かります」

挨拶をし、電話を切った。

ひとりごと

電話を切ったあと、私は次の目的地に向かうため、赤坂見附駅まで引き返した。その間、ひどく動揺したのを覚えている。

代理人の"物忘れ"は、これまで私との連絡が取れなかったことにも、きっと起因している。

電話の会話のやりとりからすると、上告審(最高裁)弁護人は、土屋さんのことを覚えていない。

こんなことあって良いのだろうか。仕事として代理人を務めるということ以上に、土屋さんが死刑囚の身であるということを知りながら、その弁護人として、1人の人間の生死の狭間に身を置いているという自覚さえも無いのだろうか。このまま刑場に送り出すつもりでいるのだろうか。まずその神経が、私には理解できない。人は忘れる生き物だが、果たしてそこまで忘れられるものなのだろうか。

上告審弁護人との数分間の会話で、私のたった一つの望みは奪われてしまった。私には何ができるのだろう。

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