2019年1月28日 17通目




昨年末(12/30)、土屋さんに宛てて書いた手紙を送ってから約1ヶ月が経った。未だ返信はない。

東京滞在時のスケジュールをそろそろ詰めたいと思っていた私は、上告審(最高裁)の先生へ連絡を入れてくれたかどうかを知りたく、寒中見舞いと題した葉書に下記のように綴った。

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2019年1月28日 土屋和也さまへ 17通目

寒中お見舞い申し上げます

ご丁寧な年賀状を頂き、ありがとうございました。

無事、沖縄に転送され、手元に届きました。

さて、昨年末に送付した手紙にも書きましたが、先生へのご連絡はしていただけましたでしょうか?

そろそろ東京滞在のスケジュールを詰めたいと思っています。

お手数おかけしますが、進捗をお聞かせ頂きたく存じます。

取り急ぎ、失礼します。

2019.1.28

沖縄から

2019年1月29日  返信あり

翌日、自宅のポストに土屋さんからの手紙が来ていた。行き違いだったようだ。それにしても毎度のこと返信は遅い。拘置所内での生活は、詳細までは判らないが、以前、彼が自身の生活について『色のない生活』という旨を語っていたことから、忙しくて返事が遅れたとは考え難い。

彼も自称する『めんどくさがりや』は、いつも文通で発揮される。外への関心のみならず、自分のことであるにも関わらずだ。これほど無関心でいられるものなのだろうか。少なくとも私の目にはそう映ってしまう。彼にとって被害者やご遺族に対しての悼みとは、どのようなものだろうか。どれほどの苦しみや痛みが彼の心にあるのか、彼自身、罪深さをどこまで感じているのか、私は未だ掴みかねている。そのせいか、本人と交流してから今もなお変わらない無関心ぶりと、淡々とした調子の手紙内容に、つい込み上げてくるものがあった。

彼からの手紙は便箋2枚に綴られていた。

冒頭は、いつものように返信が遅れたことへのお詫びの一文。差し入れ本についてと、先日の面会が果たせなかったことに理解を示す数行が、後に続いた。

そして、その後に続く、上告審(三審・最高裁)の先生との連絡の進捗について。

「もう少し時期を置いてからにしてみたらいかがでしょう」と、先生への取材申入れにまったをかける一文が。その理由として、一つは、先生の年齢や体調を考慮してということ。もう一つは、過去のある出来事を理由に挙げ、弁護人らに「あまり負担をかけたくない」という本人の気持ちである。

謙虚に弁護人を想う気持ちが行間からこぼれ落ちている。

私に気を遣ってか、その後に続く一文は、「河内さんの行ないと思いはありがたいと思っている」という旨であった。

最後は、私の体調を気遣う一文で締められていた。

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ひとりごと

彼は公的な機関に関わりながらも、社会からの冷たい目に耐えられず、自ら公的機関を絶っている。それは一審弁護士と二審弁護士、風の家の元施設長・佐藤さんらの取材を通じて判ったことである。

彼のセイフティネットは乏しいものであったかもしれない。けれど、彼のような貧困層に居る者が犯罪に至るまでの構造を、私を含む一般人、それも彼と一度でも関わりの持った者が知識として持っていたならば、彼は犯罪に手を染めなかった可能性はかなりの確率で上がったであろう。

過ちは変えられないが、彼が今後、どう更生していくか。これも周りの人間の支援に関わってくる。であれば、変わらない彼の無関心ぶりは、関わりを持っている私に原因がある、という見方もできる気がする。関わりを持っている以上、その任務は重い。だからこそ彼から見聞きしたことや、地表に露わになっていないさまざまなことを、私は私の言葉で発信していくべきなのである。

ただ手紙にもある通り、今は本人の要望を受け入れるしかないのだろうか。

事件に全く関わりのない私が数年前の悲劇を掘り起こして、加害者本人に怒りや悲しみをぶつけることは、取材者が当事者に対する許容範囲を超えてしまわないだろうか。いま改めて、私自身の行動を問われている・・・そんな気がしている。

来月、東京へ行く際、土屋さんと面会をする予定だ。その時の様子はまたここに残したい。

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