昭和の生き証人、飯田進さんの生と死




戦争の世紀・昭和という月日をつぶさに見てきたのは、
戦場体験者として最後の世代を生きた元BC級戦犯の飯田進さんだ。ニューギニア戦線を生き抜き、BC級戦犯に問われ巣鴨プリズンで服役。獄中を出てからも幸せな家庭を築く間も無く息子のサリドマイドによる薬害被害に悩み続け国を相手に裁判に奮闘、その後は障害児童福祉に取り組み続けるなど、激動の人生を送られた。
今年10月、93歳で天国へ。その人生に幕を閉じた。

今日、勤務を終えた私は飯田進さんに密着したドキュメンタリー〈昭和八十四年〜1億3千万分の覚え書き〉の上映会に参加するため、旧日比谷図書館の地下、日比谷コンベンションホールに足を運んだ。

スクリーンに映る飯田進さんは、過酷を極めた生存率7%のニューギニア戦線を生き抜いたとは思えないほど、愛くるしい笑顔を持ち、優しい表情に満ちたおじいちゃんだった。
そんなおじいちゃんが、映像の中であの大戦での記憶を呼び起こしながら、視てきたものをゆっくりゆっくりと語り出すシーンが印象深く残っている。

同じ人間とは思えない残虐な行為を、飄々とやってみせる日本兵の姿、
マラリアなどの伝染病を患い野垂れ死んでいく、戦争に巻き込まれた兵士たち、
人を殺めるという正義を確信していた当時の自分、
終戦後も自身に降りかかった「重労働20年の刑」の実態、
自身の信じる正義が、誤りであったと気づいたときの衝撃ー。

過去の辛い記憶を蘇らせ、ときに悔しさを滲ませながら語られる多くの真実。身を切る思いで戦争の残酷さを語る姿を、スクリーンを通じて目の当たりにし、私は戦争の真相を知っていくとともに、飯田さんから放たれる一言ひとことの重みをひしひしと感じていた。
語る上で伴う苦しみ。“辛い”の一言で片付けられない杜撰な過去。
一つ一つ見つめ直し、向き合い続けていくことの果てしない辛さや苦しさ。その思いを想像しきれない自分。自身の想像力の欠如に恥じるような思いがした。

戦争。今を生きる若い人たちには耳慣れないかもしれない。
戦後を生きたリーダーたちが戦後史を多面的に検証せず、彼らの手で立体的にしてこなかったからだろう。その結果、今の時代では戦争の歴史が繰り返されるような政策が、着々と進んでしまっている。

あの戦争は何のためになされたのか、
なぜ、人が人を殺めなければならなかったのか。その問いを常に持ち続けなければいけないはずだ。

「沈黙を全うしてはいけない。声を上げることを恥じらいではいけない。」

上映後、トークショーで登壇された、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが放った言葉が、会場を去った後も胸に響いている。

疑問を放らず、沈黙を破る。そうした宿題を飯田さんは遺して逝った。“教訓”というべきものを。

声を持ち寄り続けながら思考を止めないことを、わたしは止めないで生きていきたい。
言葉を紡ぐ恐怖に慣れることはないけれど、自分の意志と自分の言葉の力を信じたい。

これは未来の自分への手紙。

 

 

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