「それでもボクはやってない」が聞こえますか




 

10年前に公開された映画「それでもボクはやってない」は実際に起きた痴漢冤罪を題材に、日本の司法の惨さをあぶりだした。
その映像が示す冤罪被害の当事者性や、公共の意思であり正当な判断を迫らるべき立場にある司法の矛盾に、私を含め観た者は惑わされたはずだ。

先週、私は埼玉県の西南部に位置する狭山市を歩いていた。《冤罪の典型》ともいえる女子高生殺害事件、いわゆる《狭山事件》の現地調査に参加するためだ。54年のときが経過した今もなお、冤罪の可能性が大いに残されたまま置き去りにされている狭山事件の事実を多面的に視てみたかったのだ。

この事件をじっくり検証していくと、様々な社会的背景が隠れしていることに気づく。無意識のままに蔓延った偏見や、閉ざされていた真実が浮き彫りになって現われたとき、
冤罪被害者・石川一雄さんの《みえない手錠》がはずされる日をどれだけの人が想像できるだろう。

都内から1時間電車に揺られ辿り着いたその日、狭山市駅周辺は柔らかな陽に照らされ、穏やかなときが満ちていた。

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冤罪の典型-狭山事件

今から54年前の1963年5月1日、埼玉県狭山市は雨が降っていた。
被害者の女子高生は授業を終え、自身の通う高校の下校途中で事件は発生。何者かに誘拐されたのち殺害。
その日は少女の16歳の誕生日だった。家族と共に誕生日祝いをするはずの日に、帰らぬ人となった。

この事件は、狭山県警最大の恥として国民から強い批判を受けることになる。
なぜなら同年3月に発生した《吉展ちゃん誘拐事件》で警察は犯人を取り逃がしており、次いで起きた本件でも身代金を取りに来た犯人との立ち会いに40人体制で張り込みしたにも関わらず、取り逃がしていたからだ。度重なる失態に「早く犯人を捕まえろ」と世論は激烈な声を浴びせた。
捜査に行き詰まった警察は、捜査の対象を《被差別部落》に絞り続行。そこに住んでいた当時24歳の石川一雄さんを犯人として逮捕した。
一審死刑判決、二審無期懲役。無期懲役が確定し、第三次再審請求中。

 

石川さんは現在仮出獄中の身であり、「私は無実です」と書かれた肌着を纏っては自身の無罪を主張し続けている。
獄中32年、仮出獄から23年。
殺人犯というレッテルを背負い、事件から半世紀以上経ってもなお、無実の道は固く閉じられたままだ。

最近になってようやく、明るい兆しが見えてきた。
弁護団の血の滲む闘いが実を結ぼうとしている。
昨年、三大物証と呼ばれる証拠の一つが偽物と発覚したことにより、再審無罪への重い扉が切り開かれるときが来たからだ。

現地調査

私が参加した現地調査では、石川さんの自白の筋書き通りに現地を歩き、合理的疑いがないかどうかを確かめることができる。
わたしは実際に歩いてみて、石川さんを犯人と特定することの方がずっと困難だと思った。歩いた者にしか感じられない疑問が浮かび上がってくるのだ。

事件当時、辺り一面農園地帯であったこの地はすっかり住宅地へと化したため、畑一面の様子を想像しながら歩くしかない。けれど、おそらく、いつ誰が歩いたとしても、自白の信憑性がいかに大胆に欠いているかということを身をもって体感させられるだろう。

石川一雄さんを犯人と特定したいがために物語を作り出した警察のみすぼらしい行為。その仕掛けが見えすぎることの浅ましさ。そのまま置き去りにせよ、と誰かの呟きが聞こえてくるようだ。
私は長い沈黙の奥行き深さを感じていた。憤りの矛先をどこに向けるべきか。

 

 

誰の身にも降りかかる

死刑確定後に再審無罪となった免田事件や財田川事件、
被告の懲役刑確定後に、真犯人が自首し、無罪となった弘前大学教授夫人殺人事件、
死刑執行後の再審請求にて現れた新証拠がきっかけとなり、冤罪の可能性が高いと指摘されてきた飯塚事件。

いずれも、自白を基にした事情聴取により有罪判決が下された事件であり、かつ死刑判決に値する重大事件だ。

冤罪は誰にでも起こりうる、ということ。死刑制度の是非をも改めて問われる。

これは証拠開示の問題を始め、刑事訴訟法の構造に問題がある。ひと昔前の刑事訴訟法と違って今では検察庁に証拠が握られたままというのが実情。つまり検察側にとって有利な証拠ではない場合、それらの証拠は恣意的に伏せられたまま法廷に出ないで終わることがある。弁護側に有利な証拠が含まれている可能性があるにも関わらず。弁護人側から証拠開示の申請をしようとも提示されないことも多い。

刑事訴訟法317条、318条の規定によれば「事実の認定は証拠によ」り、「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」ことになっている。

三権分立という言葉は幻なのだろうか。

石川さんの場合は、証拠の圧倒的部分を占めるのが自白だった。
脅迫状の字。唯一の有罪証拠の万年筆。自白調書。
殺害に身に覚えのない石川さんを拘禁したうえで無理やりに事件を語らせ、発言が的外れればそれを創造し、《もう一つの狭山事件》を、警察が作り上げていったのだ。

被差別部落の身であった石川さんに押し付けたゆえの過ち。石川一雄さん本人と弁護団はその後も異議申立て、再審請求を提出しつづけている。石川一雄さんに罪があるという図式はとっくに破綻している。

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