佐喜眞美術館で"もの想う"




 

 

 

梅雨入りの空だった。厚い雲が空を覆い、どんよりと重い。
ひと足早い夏を求めて訪ねた沖縄で、私のだいすきな抜けるような青空が見あたらない。那覇空港で数分のあいだ、落胆としていた。

「またすぐ、晴れ渡った青空に会いにこれば良いか。」と、気持ちを切り替える。刻一刻と、きちんと夏は近づいてくれる。「夏、はやく」と心がざわつく。

沖縄の家族や仲間に再会できる喜び、心待ちにしてくれていた人が居るこの地に思わず、「ただいま」を口にしていた。

 

佐喜眞美術館

いつでも訪ねたいと思える場所がある。
静かに、ゆっくりと、丁寧に"もの想う"ことができる場所。
今回は二度目の訪問で、ゆっくりと観て回ることができた。

 

『佐喜眞美術館』(※注1)は、国道330号沿いを宜野湾市方面へ上がるようにして車を走らせ、上原交差点を普天間基地に向けて曲がり進んでゆくと、小さな店がまばらに並ぶ人通りも少ない住宅街の一角に在る。

普天間飛行場用地の一部を取り戻した場所に建てられているが故に、基地の目の前というよりもそこに食い入るようにして建てられている。
狭いパズルの一角に、無理矢理に押し込まれたかのように。

真正面の基地を睨みつけるかのように唐突で露わなその姿は、何か大きな壁に抗おうとする鬱憤を思わせ、どこか切ない。

付近の道行く人は殆どおらず、私たちの車のエンジン音と、木々の葉が擦れ合う自然の音色だけが響いていた。

この春から開催中の展覧会、
【命どぅ宝 沖縄戦の図】(※注2)展にお邪魔した。

(※注1)
佐喜眞美術館
〒901-2204 沖縄県宜野湾市上原358
TEL 098-893-5737 FAX 098-893-6948
開館時間 9:30~17:00 火曜休館
入館料 大人700(630)円 中高600(540)円 小人300(200)円
※( )内は20名以上の団体料金
友の会 年会費3000円(一年間入館料フリー特典・随時募集中)
ウェブ http://sakima.jp
メール info@sakima.jp

 

佐喜眞美術館の紹介本
岩波ブックレット【アートで平和をつくる〜沖縄・佐喜眞美術館の軌跡〜】
とてもわかりやすくまとめられているので、読書が苦手な方でも読めます。

(※注2)開催中の展覧会
丸木位里・丸木俊「命どぅ宝 沖縄戦の図」展
会期=2017年4月20日(木)‐6月26日(月)

 

 

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もの想う場

芸術の力で心を落ち着けて静かに"もの想う場"をつくりたいと考えた、館長の佐喜眞道夫さん。

"地上戦"という言葉の中に散りばめられた、語られざる細部を置き去りにしたくないという願いが、この美術館に込められているように思う。

この場所でなら、想像さえ及ばない戦争体験者の声を、痛みを、丁寧に見つめられる気がして。
机上で学んで得られる知識よりも、体験談を伺うことで伴う痛みを想うよりも、作品を通じてその感性から細やかな想像力を巡らせるほうが私には必要な気がして。

佐喜眞美術館の"もの想う場"という空間は、
あなたのもつ最大限の想像力を巡らせなさいと優しく語りかけてくれている気がして。

 

沖縄戦の図

「もっと生きていたかったと思うんです。1秒でもこの世に身を置いてたいと願ってたと思うんです。」

昨年初めてこの美術館に訪れた時、『沖縄戦の図』を目の前に立ち竦んだ私は、美術館の受付の方に感想を訊かれて涙ながらにこんな風に答えた。

この美術館の館内は、かつて多くの住民が戦場から逃れ避難した"ガマ"をイメージして造られており、中には三つの展示室が設けられている。
何気なく順路に沿って進んでいくうちに縦横幅がぐんぐんと広くなるのを体感しながら美術品を鑑賞していく。

三つ目の展示室におおきな絵がどんと構えている。それが、沖縄戦の図だ。(一番奥の部屋に常設されているのが、沖縄戦の図。)

縦4メートル、横8.5メートルのおおきな絵には、
血で染まった海や、その海に沈みゆく人々、戦火の合間を縫うようにして逃げ回る人々の姿や集団自決の様子、住民虐殺の様子が紙いっぱいに水墨で描かれ、見る者を圧倒する。

しんと静まり返った美術館で、沖縄戦の図を見つめながら耳を清ます。
よく見ると、人々の目が描かれてない。目のない人々の、声のない声に、猛烈な憤りを感じる。

「生きたい」が聞こえるようだった。その息遣いに想いを寄せる。

「生きたい、生きたい」と荒く乱れた呼吸が、滲み出るようにして聞こえてくる。

沖縄戦の図を目の前に、私の乏しい想像力から生じる無責任な感情と、あまりの無力さ。
残酷な事実をつなぎ合わせる。それも途方もなく。無数の命を等しく失ったという事実をただただ凝視めていた。

私は展示室に並べられた三つの椅子の真ん中に腰掛けた。残酷な事実と向かい合わせに。その圧迫感が、私をさらに苦しませる。それでも目を逸らして振り返ると、沖縄戦の体験者の写真がひしめき合うように並べられていた。

当時を語る上で伴う痛み。吐き気を催すほどの苦しみに悶えながら当時を振り返っていたのだろう。

私の目に溜まる涙は、同じ瞬間が二度と訪れぬように、との願いの表れだった。

静かに乱れ騒めき続ける私の心とは裏腹に、唾を飲む音さえも許されないほどの、館内の静けさ。館内に差し込む優しい光だけが、絶望の中の希望にみえた。窓の外は、柔らかな時が過ぎていた。

6月23日の太陽

屋上からは普天間飛行場を見渡すことができ、そこにある階段は下が6段、上が23段になっている。
一番上に、四角く区抜かれた覗き穴のようなものがある。
慰霊の日の太陽の日没線に合わせて設計されているとのこと。

去年も一昨年もその前の年も、写真のように夕陽がすっぽりと入ったそうだ。

 

登ってみましたの図。雲が重たい。

 

 

佐喜眞美術館の設計に尽力された、建築家の真喜志好一さん。
わたしとの記念写真を添える。
那覇市にある事務所、有限会社建築研究室DIG and PILEにお邪魔した際の、見つめ合うの図。

真喜志さんは強硬派で反骨な印象だが、ほんとうは笑顔が魅力的なやさしい人。

 

 

祖国復帰45年?本土復帰45年?

私が訪れた5月という月は
沖縄の施政権が米軍から日本に返還され、沖縄県が誕生した月である。今年で45年をむかえた。

復帰したとはいえ、沖縄の悲しみは米軍基地という形へと化し、傷は深いまま。(※注3)

 

"祖国"、"復帰"。
耳触りのいい言葉。
いつどんなときも、美しい言葉あるいは棘のある言葉ばかりが世の中に消費されていく。

 

長い月日の忘却の風にあおられて、人々の無関心への回転が加速している。
きりのいい数字だけには敏感で、その度に"節目"という言葉をはめたがる。
誰の、何のための"節目"といっているのだろう。節目も、もちろん終わりもないはずなのに。

ひとりひとりの心の流れ、赴きに真摯に寄り添えたなら、決して言えない言葉のはずだ。

(※注3)
在日米軍専用施設面積の割合は72年の58.7パーセントから最大で75パーセントにまで膨らみ、昨年末には北部訓練場のうち4千ヘクタールが返還され、70.6パーセントとわずかに減ったが依然、基地の荷重負担がのしかかったままだ。

 

 

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"あの日"の空を想像する。

 

四角く区切られた移ろいゆく景色。
この雲の下に、私たちの日常があるとは思えないほど幻想的な風景。
キラリとした層が永遠と広がり、空が高くなるにつれて、清い青へと変色していく。
縁取られた青々とした空は、輝きに充ち満ちていた。

帰りの飛行機の中、移ろいゆく美しい景色を横目に、この青空のように寛大でやさしい自分でありたい、とおもった。

 

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