フィリピンとドゥテルテ大統領と死刑制度復活法案




相変わらず情報の交差はめまぐるしい。年が明けてからこれまでに起きた出来事が把握しきれないほどだ。ひとつひとつ処理・消化する間も無く、次から次へと人々の意識を塗り替えてゆく。
積もり積もった出来事が膨大な層となる。その層の断面をまじまじと見れば、おびただしい数の〝強い言葉〟が行き交っていることに気付く。

気づかぬ間に、物事の本質を失い物事の前提が少しずつずれ、いつの間にか何かが根本から異なっていくケースもある。人々の視点や解釈は目指すべき方向とは違う、むしろ真逆へと導かれてゆくこともある。この図式にすっかり嵌り込んでいること自体に、大多数が気づくことなどないのだろう。

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目障りな報道

洪水のように流れるメディア報道。流行りに遅れてはならんと生き急ぐようにして次々に視聴者に放り投げられては、善か悪かなど見分けられない。

その中に、目障りな報道をみつけた。
私は去年からその報道を汲み、経過を観続けている。
去年から審議され続けている、フィリピンの「死刑制度復活法案」のことだ。

死刑制度復活法案

「わたしは毎日5、6人を死刑にするでしょう。本当にそうするつもりです。」
簡単明瞭に言い放ったフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領。その姿は逞しく、どこかすっきりと爽快な気持ちにさせられてしまうほどだ。

あまりに血の通わないこの言葉、私には呪文のようにしか聞こえてこないのだが。到底理解できない。彼の言語感覚は同じ人間だと信じられるものではない。血の気が引いてしまうほどゾッとしてしまうのは、私だけではないはずだ。

今月に入って、フィリピン下院はこの法案を採択。法案は上院に回されているが、どれほど警鐘を鳴らしたとしても、恐らく可決されてしまうだろう。現大統領ドゥテルテ氏に追随する与党がほどこす、反対者に対しての役職剥奪という圧力には勝れないのだから。それは下院議員の票数(賛成216票、反対54票、棄権1票)が示しているといえよう。

フィリピンは2006年に死刑廃止をとげ、2007年には全面的に死刑を禁止する国際条約を批准し、死刑廃止を約束している。この義務はいかなる場合でも撤回できないはずだ。

 

刑罰の対象年齢は〝9歳〟

犯罪の撲滅を最大の公約に掲げ就任したドゥテルテ大統領だが、再三にわたり政権下に提出された法案が議論を呼んでいる一つが、既述した死刑制度復活法案だ。
それと同時に、刑罰の対象年齢を15歳から9歳に引き下げようともしている。
9歳という判断能力がままならない成長途中の子どもが、例えば盗みがバレようならば、大人と同じ罪が言い渡されてしまうのだ。ドゥテルテ大統領はこの政策を遂げようとしている。

強がりはどこから

彼は、犯罪者という"モンスター"の完全排除という発想に到達しきっているのだろうか。理解に苦しむ偏頗で歪んだ発言は、強がりどころのそんなかわいいものでない。

冷え切った彼の発言はどこから来るのだろう。何が彼をそうさせるのか。"麻薬撲滅戦争"の名の下で次々と超法規的な殺害を実行できてしまえる彼の政策に未来はあるのだろうか。

それでもこの世で生きていく

人の死を左右できる馬鹿げた法律が罷り通る事実を目の前に、満腔の怒りを隠しきれないでいる。
更新を遂げ続ける情報の器は常に垂れ流しだ。その積み重ねが世の中を強引に動かす。その強すぎる流れには抗えない。時に流されなければならないこともあろう。リテラシーを身にするためには死ぬまで知ることをやめないことが必要か。既存の知識ではこの世で上手に生きていけない。

 

 

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