いのちのギャラリー




JR埼京線の赤羽駅は、立春とは名ばかりの寒さが漂っていた。雲が薄く延び、今にも雨が降りそうな昼空。鈍色の空気。私はなんだか重い足取りで、目的地へと向かった。

改札を抜けて歩いていくと、目の前には大きなアーケードが掛かった、艶やかで楽し気な商店街。店主の賑やかな声が小路に漏れる。

馴染みのない地でここに住む人々の日々の営みに想いを馳せながら、南北線の志茂駅に向かって数分歩くと、褪せた柿色の貧相な壁肌が視界に入り込む。近寄ると、さまざまな広告チラシがむきだしに貼られたまんまの入口を見つけた。

看板を探す。あった。
縦横15センチほどの雨色の画用紙に、手描きで記されている文字。

 

 

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いのちのギャラリー

 

『いのちのギャラリー』の扉を開けると待っていたのは優しい笑顔の女性、市原みちえさん。
"永山則夫"という作家であり四人を殺めた"元死刑囚"最後の面会人だ。

元死刑囚。
20年前に執行され、この世に生身の人間としてはもう居ない。

いのちのギャラリーには永山則夫の遺品が部屋じゅうに保管されており、彼のキセキが埋まっている。

市原さんの話を聞きながら、永山さんの遺品をゆっくり見させてもらった。少しだけ紹介したい。

タイトルは"無知の涙"

永山さんが獄中で読んでいた書籍たち。
わたしの背丈よりも頭一つ分ほどの高さの本棚に、びっしりと並べられていたが、これはほんのごく僅かだそうだ。

永山さんは貪るように獄中で猛勉強していたことは広く知られている。生きて償うための勉学を怠らなかった。
生まれ来る子どもたちを、無知と貧困から解放し、家族との絆や仲間意識を育てることこそ、犯罪の起きない社会への礎となると信じていた永山さんにとって、既存の知識でまかなおうなんてことこそ"死"を意味したからであろう。

作家としての永山がうまれたのも、獄中からだ。
83年に日本文学賞受賞作品『木橋』や、生前最後の作品となった『華』など、獄中からいくつもの小説を出版。

衣食住がある、いわゆる一般的な家庭とは比べるまでもなく、彼の暮らしは絶望的だった。想像さえ及ばないほどの貧困下で育ち、十分な教育も儘ならぬまま"非日常"を生きていた永山さんにとって、獄中は唯一無知から離脱できた場であった。

幼少期から殺人を犯すまでの永山さんに、愛情なんて言葉はあまりにもそぐわない。四人もの尊いいのちを奪うことの理由に"愛情不足"が当然としてあるのだから。

 

 

ジャズバーで勤めていたときに履いていた靴。
これに限らず、アパートの鍵、身につけていたペンダント等、全ての遺品が丸裸のまま、所々に配置されていた。妙に荒々しさも漂わせている。

わたしは、それらと触れられる距離に居るのに、触れられなかった。永山さんと「初めまして」を心で交わしてまだ数分と経っていないのだ。馴れ馴れしくなど触れられなかった。

 

大量のダンボール箱。その中にみつけたのは89年から90年にかけて書かれた獄中日記。私が生まれた年。

 

まん丸お目目の、とても可愛い顔をしている。隣にいるのは妹さんだと市原さんが教えてくれた。

逮捕当初の本人とはまるで別人。
こんな優しい笑顔をする人間が、果たして本当に四人もの貴いいのちを消してしまったのか、と今でも信じられない思いでいる。
永山則夫さんの精神科医・石川義博さんが面会時に刑務官の目を盗んで撮影したとされる、唯一の笑みを魅せた写真。

彼の代名詞ともいえる"無知の涙"。
"原本"という言い方がふさわしいだろうか。
私が憑かれたように読み耽った本の原本が、どっさりと置かれてある。
「どうぞどうぞ、見てやってよ。」と市原さんが言う。私のたどたどしい様子を察したのだろう、手に取らせるかようにお声かけくださった。

強い筆圧。一画一画が波を打つように強い。引っ掻くように殴り書きされたものもあれば、とても丁寧に優しく綴られた言葉もある。

私は一字一字を目で追いながら、やさしくなぞった。永山則夫さんのどろりしたと魂がつたわってくる。どくどくと鼓動が聞こえてくるようだ。導かれるようなその感覚がどこか心地よく、そこにひたすら身を浸していた。

見られたくない箇所を黒塗りしている。
何を綴ったの?なぜ、消してしまったの?

死刑を肯定する意味

「人は、死刑を言い渡されなければ、更生しないのかもしれない」。

という言葉を目にしたことがある。

もし、死刑を肯定する意味があるとしたら、この言葉の奥深くに存在するような気がする。

死に直面することで死を受け入れさせ、極限の境地にまで至らせることで更生の道が開けると言いたいのだろうか。その意味での積極的な面は認める。死刑という言葉そのものには犯罪抑止力がないことは事実だが、"改善効果"は強くあることを。

でも少し考えてみてほしい。
自らの罪に内向し続け、やっと罪の重さに気づき更生を図ろうとする者を吊るして終わりにしてしまっていいのだろうか。
大人になって初めて人から温を与えられ、愛しむ心を持ち、命を奪われた者の無念さや、人の命に手を加える残酷さを、ついに理解できたというのに。人が人の生死を決めることへの違和感を拭うことができない。人が人を裁くには、絶対に限界があるはずだ。

永山則夫の遺言

「本の印税を日本と世界の貧しい子どもたちへ、特にペルーの貧しい子どもたちのために使って欲しい」。

この永山則夫さんの遺言を形にしたのが『永山子ども基金』だ。
今なお彼の本の印税は、ここを通じてペルーの子どもたちに送り届けられている。

ペルーの子どもたちの多くは、社会の最下層で最低賃金で働き家計を支えるいち労働者。

貧困が故に子どもたちが犯罪に手を染めてはならんと、寛容な理性ある社会を願っていた人こそ、四人ものいのちを殺めた永山則夫さんだった。

永山則夫チャリティーコンサート

私はご縁をいただき、この夏にも都内で開催されるチャリティコンサートのお手伝いをさせていただくことに。
ここの活動に触れることは、永山さんに限らず、犯罪者が生まれるまでの社会的背景に向き合うことに通じると思っている。
第二の永山を生まないため、いま謙虚に、永山さんの声に耳を傾けることができるだろうか。

 

 

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