死刑囚からの手紙を読み返す夜




 

 

 

就寝前、生暖かい風がどこか心地よい夜。ここ数日、網戸の向こう側から猫の鳴き声が聞こえてきます。
それも一匹でなく複数居る様子。その鳴き声が威圧的で、ギョッと怖気立つほど。どうやら喧嘩をしているようです。

数分後、しんと静まり返ったと思えば愛おしいほどの「みゃ〜」に。ぴんと張りつめたものが一気に穏やかな空気に入れ替わります。

ずいぶんと喜怒哀楽の激しい猫が、私の情緒も狂わしてくるのです。

ふと、その猫の感情の起伏が人間のようで、人間同士の喧嘩の関係性に近いような気がしました。

とても月が綺麗な七夕の夜の出来事です。最近、そんなとりとめのないことを考えています。

 

 

死刑囚からの手紙

夏の旅の前に、断捨離をしています。
代行スキャンサービスを利用し、紙類の一斉処理。とてもスッキリしました。

原本のまま残ったのは、手紙です。

私は人一倍、手紙を書くため、人一倍、手紙を頂戴します。
人それぞれに違う、時の丸み、筆圧、言葉に込められた想い。
そうしたものを電子化し、処分してしまう行為がどこか残酷かつ切なく思えてしまい、手元に残しておくことにしました。

年賀状やバースデーカード、複数の文通相手からの内容のない手紙。
私にとって手紙とは、私の日常の中に優しく遊ぶ時間をくれる大切なものです。

中でも取っておきたいのが、ある死刑囚からの手紙です。

ある死刑囚と文通を始めて3年目のとき、私たちの交流は強制的に絶たれてしまいました。彼に科された死刑判決が確定してしまったからです。

頭に浮かぶのは、「?」。

なぜ、会えないのでしょうか。それはあまりにもくだらない理由で、ここに記すまでもありません。

彼からの手紙を読み返していると、彼の優しい言葉に、私は何度も救われていたことに気づきます。

【一般人が、一人の死刑囚に悩みを打ち明ける】という図式に取り留めのない違和感を抱きながら、【変な自分】をこんなはずじゃないと否定的に捉えては、それでも交流を重ねました。

"死刑囚"という将来が閉ざされた身分なだけに、上辺だけの言葉や見せかけの親切、支援を求める下心やごまかしは一切ありません。いつも返ってくるのは、物事の本質をつく言葉ばかりです。

目の前に居るのは、私が救いたい命。
残酷かもしれなが、死刑囚である人間に救われたのは、私の方でした。

私は彼を知るたびに、彼を処刑する〝正当な理由〟を探します。納得のいく理由に出会えたことは一度もありません。殺すのに正当な理由などあるのかな。

死刑と憲法

憲法31条では、
〈何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない〉と書かれています。

法律が定める手続によれば死刑を科すことができるという意味です。

また、憲法36条では、
〈公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる〉とあります。
実は死刑は〈残虐な刑罰〉にあたらないとして、最高裁判所の判例で確定しています。

つまり、現行法上は死刑は合憲。

私の頭の中は、「?」でいっぱいです。

なぜなら、人を殺して切り捨てる死刑という発想こそが残虐だと思うから。
生命そのものを奪うということ以上に、残虐なものはないと思うから。

人の命に、人が手を触れてはなりません。たとえ、人を殺めた人であったとしても。

死刑囚からの手紙を読み返しながら、いろんな思いを巡らせていました。

どんな殺人犯であれ、〝凶悪な殺人者〟ではなく、〝一人の人間〟として視てほしいと思います。罪人を避難することは容易い。けれど罪人らと向き合うことの難しさ、それによって伴う辛さや痛さを、これからも私の言葉で発信していきます。

 

 

 

 

 

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