死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて①土屋和也氏1審弁護人




写真は、前橋大島駅の南口に植えられていた木。16時頃。葉が枯れて秋を感じさせた。

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これまでのこと

去年の末から今日まで、私は土屋さんと6回の面会に加え、複数回の文通をしてきた。
土屋さんが犯した事件について知るのには、彼一人からの話では勿論限界がある。自分なりに多面的に立体的にしていくには「土屋死刑囚と何らかの関係で繋がってきた人たちを辿るしかない」と思った。その心のうちを土屋さんに伝えると、彼があっさり裁判の弁護を務めた先生方の名前を教えてくれたというのが、これまでのこと。

土屋和也さんと繋がりのある人々を訪ねて

私は土屋さんが犯した事件(前橋市高齢者連続殺傷事件)の情報を、新聞報道と本人の話からしか得ていない。というのも、事件発生時はちょうどピースボートの船旅に乗船中だったからだ。まだピースボートに勤めていた頃のこと。洋上で日本の報道を知るには、必ずタイムラグが発生する。それに当時は職員として乗船していたため、日々の作業をこなすのに手一杯で、日本にいる時のように常にニュースを追うなどできなかったのだ。

とはいえ、さすがに新聞と本人の言葉だけでは一辺倒すぎる。
彼の生い立ちや家庭環境といった、ざっくりとした内容は、私の過去のブログや雑誌の寄稿でも述べてきた。彼に友人など居なかったことも知っているが、それでも彼を知る数少ない人から話を聞きたかった。何らかの形で彼と交わった人たち、同じ時、同じ場所を過ごした人たちの言葉を拾い集めたかった。
そうしてペンを執ったのが、一審の代理人を務めた弁護士の先生だった。

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手紙ー弁護士の先生へ

こんにちは。突然のお手紙をお許しください。私は東京都在住の河内千鶴と申します。土屋和也さんから先生のお名前をお聞きし、ご連絡を差し上げました。

私は都内で勤めながら、ライターとして週刊誌や音楽誌等の紙媒体に寄稿しており、死刑囚の方々の日常を綴っています。
去年末に、不思議な巡り合わせで土屋さんと出会い、今なお交流を続けています。
彼と面会や文通を通じて接していく過程で、彼を取り巻く人びとや、彼の置かれた環境を辿ろうと思い至りました。
その過程で、土屋さんから先生の名前を伺い、ご挨拶も兼ねて先生におねがいしたいことがありましたので、お便りを差し出した次第です。
前置きが長くなり申し訳ございません。

土屋さんの事件のことを調べておりますが、新聞やテレビ報道等の、表に出ている情報では私自身事足りず、もう一段階理解を深めたく、一度、先生のお話をお伺いしたく存じます。
また、一審判決後に先生がメディアに
「土屋さんの生い立ちと障害の影響について殆ど考慮されなかった」、「われわれの主張は十分に伝わっていない」とおっしゃった、その心の内をお聞かせ願いたいと存じます。

もしお時間頂けるのであれば、私が事務所へお邪魔できればと考えておりますが、関東圏内でしたらご指定いただいた場所へ向かいます。
大変お忙しい中、恐縮ですが、一度返信いただけましたら幸いです。また、名刺を同封致しますので、記載のメールアドレス宛でも構いません。よろしくお願い申し上げます。
ようやく残暑も和らぎ、過ごしやすい日々となりました。季節の変わり目、風邪など召されませんよう、ご自愛ください。
2018/09/14 河内千鶴

メールにて、返信あり

手紙を投函して4日後の9月18日、わたしのメールアドレスに先生から連絡が入った。

とても丁寧な文面で、取材許可の返信を頂いた。
守秘義務がある為、法廷で主張した以上のことは話し難いということ、
ナイーブな部分については、事前に土屋さんから了解を得ておいてほしいということなど、いくつか条件付きではあったが、取材を引き受けてくれるとのことだった。
メールの文末に「土屋くんの近況など伺えるとありがたい」とあり、取材申入れの返答は前向きなように思えた。

土屋さんが東京拘置所に移ってから会いに行けていないそうだ。東京・前橋間は鈍行で片道2時間以上かかる。一審が終わってしまった以上、他の案件でも追われているであろうに、貴重な一日、しかも平日を面会に使うことなどできないだろう。

先生から提案頂いた日にちの内、私の希望日を伝えた。10月17日、水曜日の午後2時に決まった。
すぐに私は取材準備に取り掛かった。
まずは、土屋さんに関して寄稿した記事(週刊金曜日・第1196号/2018年8月10日発売)を、先生に送付した。

※上記の「ナイーブな部分については、事前に土屋さんから了解を得ておいてほしい」という依頼を果たせた事については、【2018年10月3日 6回目のこんにちは】に詳しい。

法律事務所へー群馬県前橋市

JR新宿駅から湘南新宿ライン特別快速直通・高崎線特別快速高崎行きにて、終点の高崎まで乗車し、さらに両毛線・伊勢崎行きに乗り換え、そこから5つ目にある前橋大島駅。私は東京都内(新宿)から鈍行で2時間かけてたどり着いた。
南口のバスターミナルを抜けて大島公園を右折し、2車線の歩道に入ると、製造工場が立て続けに向かい合うように隣接している。そのまま前橋方面へ進むと、一軒家がぽつぽつとまばらに並びはじめた。その一角にあるのが、目的地である【なかだ法律事務所】。土屋さんの一審弁護人が務める法律事務所である。徒歩10分強でたどり着くことが出来た。

取材ー1審弁護人

15分早く着いたにもかかわらず、応対してくれた。玄関口で事務員の方に挨拶を済ませると、すぐ一審弁護人・中田先生が出迎えてくれた。落ち着いた雰囲気を漂わせている。
案内された応接間の机には、すでに公判記録などの事件記録が用意されてあった。
私は着席する前に、東京土産の麻布かりんとうを渡した。余談だが、ここのかりんとうが抜群に美味しいのだ。私が東京都外の友人に会いにいく際には必ずといって良いほど持っていく、お決まりのものである。
「ありがたくいただきます」と先生が微笑んだ。優しい話し方をする印象を受けた。
着席し、早速取材に入った。私の自己紹介を終えた後、先生は

「もう数年前のものですので、記憶が曖昧なのですが・・・」と申し訳なさそうに断りを入れてから、過去の記録を手に取り話しはじめた。
土屋さんの代理人を務めるまでの経緯や、前橋で初めて彼と面会した日のこと、裁判の様子、判決に対しての思い、彼を取り巻く人たちのこと・・・。
私は聞きたかったことを、次々と先生にぶつけた。同時に私は本事件の過去の裁判記録に目を通しつつ、目に留まったワードをいちいち聞いては、先生はひとつひとつ当時を思い返しながら、ときに悔しそうに、ときにやりきれないような表情を滲ませながら、丁寧に答えてくれた(取材内容はここでは省略)。裁判所に提出した情状鑑定書にも目を通すことができた。

取材の最後に、一審の判決文の写しを頂いた。拝読すべく、ありがたく頂戴した。

今回の聞き取りで浮かび上がってきた事実や、彼を取り巻く新たな人々の存在のこと。
これからじっくりと辿っていこうと気を新たに、私は事務所を後にした。

児童養護施設へー取材の後で

帰りに私は、土屋さんが入所していた児童養護施設へ立ち寄ることにした。先日、取材を断られた施設だ。
法律事務所がある前橋大島駅から、JR線と東武伊勢崎線を乗り継ぎ辿り着いた、ある駅。1時間かけて着いた頃には、時計の針は夕方5時をさしており、日も沈みかけていた。
駅から15分ほど歩くと、気づけば住宅街へと入っていた。その住宅街のど真ん中に、いきなりあらわれた広い敷地。そこにはホームページでみた、例の児童養護施設があった。
ここ数年で建て替え工事がなされたらしく、建物自体は築浅で、清潔感があった。
敷地内には車が数台駐車されていただけで付近には誰もおらず、駅から遠いからか、敷地外も人通りは少なかった。車も数分に一台が通過するくらいで、シンと静かな時が流れていた。

私は写真を数枚撮り、すぐその場を去ろうとまた歩き出したのだが、施設の裏の方から子どもたちの活き活きとした声が聞こえてくる。数人で遊んでいるようだ。声が聞こえる方へ導かれるように向かうと、施設の横の15坪ほどの小さな公園で、小学低学年から高学年の子どもたち十数人が遊具ではしゃいでいる。側にいた大人2人が、時々注意しながら見守っている。子どもたちの両親ではなさそうだ。おそらく施設の職員だろう。

私はその様子をまじまじと見つめながら、通り過ぎようとしたとき、ひとりの少年が「こんにちは」と声をかけてくれた。続いて職員らしき男性も挨拶をしてくれた。軽く会釈し、その場を後にした。公園で子どもたちが遊んでいる風景が、私自身の幼少期と重なって見えた。その場を去ってもしばらくは、気持ちがほっこりしたままだった。

駅に向かう途中、私はいろんなことを考えていた。
この施設で、かつての土屋さんも育った。18歳まで居たそうだ。施設ではいじめに遭っていたと一部では報道されている。
どんな様子で入所時代を過ごしたのだろう。隣の公園で、同い年くらいの子どもたちに混ざって遊ぶことはできなかったのだろうか。

誰が、いつ、どのようにして、彼の人間人格を形成したのだろうか、と。

同時に頭をよぎった、一審弁護人の言葉。「あの方だったら、協力を得られると思います。まだNPOをしていらしたら、連絡も取れやすいはずです。」

私は再び2時間かけて都内に戻った。帰宅後、"さとうさん"に手紙を書こうとペンを執った。

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