生きるという権利




第6回死刑映画週間『生きるという権利』2017年2月18日(土)〜2月24日(金) 開催中

 

 

「生きているだけで、いいんだよ。」

こんな綺麗な言葉が綴られた本を、無意識に手に取っていた。
やさしいことばに出会うたび心が穏やかになっていく。頬が綻ぶ。そのひとときを独り占めたくなる。

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生きるという権利ー死刑映画週間を通じて

《死刑映画週間》が昨日から始まった。2012年より毎年この時期に開催され、6度目をむかえる。これまでに死刑制度に関する数多くの作品が上映されてきた。

「生きるという権利」。これが今回のテーマだそうだ。
いのちをテーマした物語がスクリーン上に映し出される意味や重みを、観客はそれぞれに、それぞれの価値観で受け取っていく。

陽の光に晒すなと、これまで顧みられてこなかった多くの死。公に晒されることがなかった多くの消された命。知らないところで理不尽なことが起こっていることに、改めて憤ってしまう。

映画を通じてそれらの置き去りにされた死を世に晒すことの意味や意義が、この映画週間には在る。

 

 

壁あつき部屋

きのう、私は
『壁あつき部屋』を鑑賞した。

第二次世界大戦後にBC級戦犯に問われ巣鴨プリズン(現・池袋サンシャインシティ)に収監された、ある男の手記を基にした物語だ。
戦争犯罪裁判の完璧なまでの理不尽さが、見事に描かれている。

その時代に生きたことがない私は、その時代の出来事を知ることで傷つく。しかも、わざわざと。
胸が塞がれる思い。どこを向いても息がつまる。映画の内容を思い返しては、心に刃物が刺さるような感覚に陥る。鈍い痛みが心中を駆ける。

「視なければ良い」。

「そんなに辛い思いをするくらいなら、最初から見なければ良い」。

確かにそうかもしれない。自分を傷つける作品だと解っているのならば、視なければ良い。真っ当な意見だろう。

自分の内心を追いかけて疲れることも無くなるだろうし、
"なぜ"にこだわり細部を気にしすぎる癖も治るだろう。
"絶えず問う"苦痛からも解放される。

でも同時に知っておかなければならない。
日常という空間には、"なぜ"を見えなくする力が備わっているということを。
日常に溶け込もうと努力することは、思考を止めてしまうということを。当たり前の想像力に欠けてしまうことを。愛する人を傷つけることに繋がることを。

「視なければ良い」と助言をくれるあなたに、私はこう言いたい。

"なぜ"から逃れることは、楽かもしれない。痛みを忘れられるかもしれない。

でも、なんて退屈な日常なんだろう。

と。

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